深呼吸をしたあとで、

さまざまな心を、そのままに。

ふたりへ願う以上のこと。

「どこが好きなの?」「どっちが好きなの?」KinKi Kidsのファンだという話題になるとそう問われる場面が少なからずある。

KinKiは二人しかいないので、ファンに対しての興味が其方へ向かうのは致し方ないことなのだろう。問題は、わたしが大抵その質問に対して即座に 具体例を挙げる術をもっていないことだった。いつも一瞬返答に詰まってしまうのだ、どう答えるべきか。何故なら自分にとって彼らに優劣もなければ上下もな いからだ。そうして少し考えた後に決まって口をつくのは「(良いところも悪いところも含めて)全部だよ」「ふたりとも同じように好きだよ」という言葉だけ だ。

 

好きなところを聞かれても、上手く言葉で表すことができないのはファン失格なのだろうか。好きなところは上手く思い浮かばかないが、『わたしの思う彼らのいいなと思うところ』なら、胸を張って挙げることができる。

歌声、二人のハーモニー、ダンスが素晴らしいこと、努力家なところ、賢いところ、面白いところ、不器用な優しさ、根性……書ききれないくらい、数え きれないほど。もう、それさえ自分の胸にあるのならそれでいいのかもしれないと納得することにした。我ながら呆れるくらい自己満足で利己的な自覚はある が、選べないものは選べないし分からないものは分からない。

 

そんなわたしがファンとして彼らに対して願うものはなんだろう。

例えばKinKi Kidsの活動を増やしてほしいだとか。歌番組や先輩後輩の番組への出演、以前の冠番組の復活と新たな番組のはじまり、ふたりでドラマ出演、全国ツアー、シングルとアルバムの発売……物理的には山ほどある。

けれど、もっとずっと突き詰めて考えたなら、答えは違った。本当はそんなことは二の次なのだ。

 

ふたりから発せられるものであれば涙も苦悩もなにもかも受け止めたいし、『自分』の痛みを隠してほしくない。どんな姿容も愛おしいけれど、泣き顔や 切ない表情を見るのは切なくて堪らなくて、心が痛い。溜めこんで苦しむくらいなら何もかも曝け出してくれればいいのに、と思いながらも哀しむところは見た くない……そんな欲深い矛盾を抱えながらも思うことは。

『光一さんと剛くんのふたりが、一秒でも長く心からの笑顔でいられますように。心身ともに健康でいられますように、ふたりが何のしがらみもなく生きて、ふたりが隣で微笑みあっていられますように』

 わたしが彼らに願うことは、やはりと言うべきか、ただひたすらにそれだけだった。それ以上のものはない。これはもしかすると願い以上の祈りなのかもしれない。

 

芸能界で長く生きる彼らだって、エンターテイナーではあるが、いち社会人でありそれ以前にたった一人の人間だ。そういう星の下に生まれ落ちていると はいえ、怒ることもあれば心から笑えない日も当然あるはずで。強い責任感の奥底で「疲れた、もうやってらんねぇよ」と思う日もなくはないだろう。

それを察していながら心からの笑顔を望むのは酷く自分本意であることはわかっているけれど、思わずにはいられないのだ。きっとファンの性であり業なのだろうなぁ。

 

だってしょうがないじゃない。ふたりの笑顔はとても綺麗で素敵で、本当に愛おしいんだもの。彼らの無邪気な微笑みを守り見つめていられるのなら、その為なら、わたしは何にでもなれる。自分に出来ることはなんだってしたい。

 

同じ空の下の、この場所でそう願いながら祈りながら、要望という名の想いを綴ったハガキをバッグにしまって、ポストへ向かう。

わたしは今日も……いや、いつだって、光一さんと剛さんの笑顔に逢いたい。