深呼吸をしたあとで、

さまざまな心を、そのままに。

きれいな、花の枯らし方。

人には様々な心があるけれど、『好き』の感情は花に似ている……と、ふと思うことがある。

芽吹いて、成長して花が咲く。綺麗なときを経たあとで枯れ散って地に還る。

 

そんなことをぼんやりと考えていたら、KinKi Kidsのことが自然と脳裏に浮かんだ。

自分自身はもしかしたら少しだけ特殊なのかもしれないが、昔から『好き』がどんどん増えていくタイプだった。一度気に入ったものやハマった作品は、ずっと好きなままで。

勿論その時々の精神状態や環境で左右することはあって、そういう時は無意識に熱量が抑えられる。そうしてただ優先順位が入れ替わるだけ。それだけ。

こんな生き方をしていて、大事なもの・好きなものが両腕に抱えきれなくなったら一体どうなるのだろう、なんて考えたこともあったけれど、きっとその時はその時の自分がなんとかするのだろう。

 

そんなわけで、白状すると今までの人生において、365日24時間ずっとKinKiへの『好き』や関心が『一番』だったかと問われれば、きっとそうではない。(事あるごとに気にかけてはいたが)

けれど、彼らには不思議な引力があるのではないかと思ってしまうほど、何の抵抗もなく元の場所へ引き寄せられる。今はもう優先順位が入れ替わっている時ですら、膨大な熱量をもって、大好きだ。

彼らが一秒でも長く笑顔でいてくれたなら、わたしは幸せだと思えるほどに。

 

わたしはこうだけど、では他の人はどうなのだろう……?

そう考えた時、年末年始に行われた『KinKi Kids concert 2015-2016』の元日公演での、剛さんのアンコールでの言葉が浮かんだ。

「光一派、剛派とか、しょうもないことではなく、KinKi Kidsを愛してほしい」そんな類の言葉。

 元々ひとつだったはずのKinKiファン。その中で剛さんが触れたように、いつの間にか決定的に道を違えてしまった人たちがいる。その事実は確かに現実に横たわっている。

その人たちはKinKiへの『好き』が枯れていってしまったのだろうか。

 

年齢と共に、環境の流れで、趣味が変わって……様々な理由で自然に『好きの花』が枯れ散っていく、そのさようならは生きていたら誰にでも一度は訪れるものだろう。

その人の自由だし、止める権利も術もない。

ただ、それだけが理由ならばあそこまで辛辣で執着とも捉えられる言動をするだろうか? 他に何か理由があったのではないか。もしかしたら、きっかけがあって、まだまだ枯れる気配もない『好き』を無理矢理もぎ取ってしまわざるをえなかったのではないか? もしそうなのだとしたら、余程のことだったはずだ。彼らふたり(もしくはどちらか一人)に憎しみに近いものすら抱いてしまうほどの事が……。

 

非常に個人的な印象だけれど、通常、人間は憎しみや怒りの感情を長く抱えたままではいられないように出来ているのではないかと思うことが多々あって。そして怒りや憎しみは悲しみや寂しさと似ていると常々感じていて。

そういったことを整理すると、「あぁ、あの人たちはこんなにも長い間、KinKiや剛くんや光一さんに対して、今までずっとずっと何かが哀しかったんだ。どこかが寂しかった んだ。それをいまだに認めて抱きしめてあげられないから許せないから、自分自身でも気持ちを持て余しているのかもしれない」と、ストン、と心に落ちた。

自分の好きだったものを不本意に好きでいられなくなって、それでも、もう戻すことが出来ないそれを捨てることすらできなくて、それが痛くて苦しくて泣きたくてたまらずに彼らへ矛先が向かった。そんな気がした。

 本当のことは知らない。あくまでただの憶測でしかない。自分以外の人の心の内が分かるわけがない(分かった気になるつもりもない)けれど。

きっと心のいちばん柔らかい場所が傷ついたのだ。

 

だからといって、誰かを言葉の暴力で打ちのめそうとしていい理由と言い訳にはならない。わたしにとって大切なKinKiを否定し、ふたりが傷つけられる……そんなことはあってはならない。どんな事情があろうともそれだけは決して許容できないけれど。

ここまでつらつらと書き連ねてきたが、結局なにが言いたいのかというと……正直自分でもよく分からない。次に考え時は違うところに考えが行きつくのかもしれないなぁ。

 

もしもいつか、自分の中の何かの『好きの花』が枯れる時がきたら、綺麗に、自然に散らせてあげようと思う。ドライフラワーにして宝もの箱にしまっておけるようにするのもいいな。それまではただひたすら大事に大事に胸を張って誇って愛していよう。

そうじゃないとあまりにも、それまでずっと幸せと笑顔をくれていた、あなたにとても恥ずかしいから。

 

そうは言っても、今のところ、自分の中に芽吹き咲き誇るこの花たちが枯れる気配はないけれど。今日もまた、わたしの心に『好き』が増えていく。愛がゆっくりゆっくり長い時間をかけて咲いていく。

それはとてもとても幸せなことなのだと改めて気づいた、冬の夜。